東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好きだったんですがもう仕事に毒されてしまったのです。

JR某駅で足のない糖尿病患者と出会ったんだけど日本死んだらどうすんの

我が目を疑う光景に思考が止まってしまった。

 

JR都内某駅構内の改札外でのこと。改札を終えて数歩ほど進んだところで衝撃的な光景を目にした。

 

片足のない初老の男性。

 

   

彼は改札外の構内に腰を下ろしていた。そばには普段から使っているであろう車椅子が置いてあり、彼のすぐ足元にはお茶のペットボトルとセブンスターのパッケージ。そして目の前には底の浅い空っぽの小鉢が置かれていた。

 

彼の姿と周囲に展開される小物を認識した時、俺の頭は真っ白になったのだ。彼の前を通り過ぎる人々は、まるで彼の存在を否定するかのように思えた。はたから見れば彼はただの物乞いのように思えるため、人々の傍観など致し方ないように感じられた。

 

しかし、足がない。

 

普段ならホームレスの物乞いにすら気がつかない自分ではあったが、今回ばかりはなぜだか無視できなかったのだ。不謹慎な意味ではないが、そっと彼に話を伺ってみたくなったのだ。俺は普段通りのスピードで歩み寄り、彼のそばでそっとしゃがみ込んで、その空っぽの小鉢に100円玉をそっと投入した。

 

その足はどうしたのか。

 

俺が率直にもこのように尋ねると、少々決まり悪そうに、それでいてよくぞ話しかけてくれたという表情を浮かべていた。

 

「遺伝性の糖尿病で足の切断を余儀なくされたんだ。」

 

そう話し始める前に、俺はまたもや自分の視野に映り込む衝撃の光景を認識した。

両手の指すべてが機能しない様子だった。第二関節のあたりからすべて切断されていた。しかも「指」の先端は濁りを帯びて白く固まり、壊死していたのだ。

 

「あんたのようにこうしてお金を恵んでくれる人はめずらしい。私は栃木県の佐野市からここに来た。普段は姉と生活しているが、見ての通り働くことはもう諦めざるを得ない。姉にいつまでも迷惑をかけることも気が重いし、邪険に扱われるのも辛かった。だからこうして物乞いをしてなけなしの生活費に当てるしかなかった。」

 

発展途上国のシーンとしては珍しくないかもしれない。我が子の身体的な不自由を人々の前でさらし、その姿を見た通りすがりの人々(主に観光客)に物乞いをする母親。経緯は千差万別、背景の多くは貧困一つに集約されると思われる。見れば胸を痛みつけられる姿だ。

 

そう、ここ日本でも俺の目の前で同じようなことが起こっていた。

 

自分には彼の何らかの力になることも、100円以上の何かを差し上げることすら叶わない。俺は目の前の片足のない初老の男性から話を聞くことしかできないと思ったのだ。そう考えれば、いままでなぜ目の前のホームレスの方に目がいかなかったのだろうかとも、無知無力な自分にも説明のしようも説得力も持たない自責の念が胸を刺した。

ただ、彼と話をすることで、俺と彼の存在を認めた別の通行人が彼に関心を向ける結果となったことだけが、図らずも彼にはプラスとなったようだ。俺が立ち去った後、その空っぽだった小鉢に甲高い音が反響していた。

 

これは偽善なのか?そんな自問自答を繰り返しながら帰路についた。

 

帰宅後、看護師として働く母親にこの一部始終を語ると予想もしなかった答えが彼女の口から放たれた。

   

 

「それはまったく自分のせいだ。」

 

おれは耳を疑った。病気で体が不自由になり、その結果働けなくなったために物乞いに転じざるを得なかった。親族も彼を養う余裕はない。他にどうすればいいというのか。皆目見当もつかなかった。

 

「そもそもいまどき糖尿病で手足が不自由になるなんて。ほとほと呆れるわ。治療法がないわけでも、治療費がべらぼうに高額なわけでもなかったはずだというのに。」

 

糖尿病にかかる費用は全く俺の知るところではなかった。

一般的なインスリン療法であれば、合併症の治療を除いて月額1万円程度であるそうだ。(出典:糖尿病ネットワーク http://www.dm-net.co.jp/seido/02/) 

その他にも食事に気を使ったり、生活習慣の見直しをするだけでも状況は変わりうるとのことだった。

 

「どうして手の打ちようがなくなるまで放置したのかしら」

 

母親のこの言葉は理解できなくもない。

一般的に医師や医療関係者にとって早期に治療を執り行うことが患者や医療従事者の負担を軽減するのだそうだ。それだけでなく、医師は様々な選択肢から患者に最適な治療法を提示することが可能であろう。それは建前であるとの異論も大いにあり得るが、こと末期の糖尿病患者、少なくとも彼に関しては選択の余地がほとんど残されていない。

 

「ずるいのよ。手足を不自由するに至った背景は知る由もないけど、その人と同様になんらかの原因で働けない人なんてたくさんいるのよ。自分の哀れな姿をさらしてまでお金を乞うだなんて。いままでどれだけの人が目の前のホームレスを素通りしてきたと思う?結論、(糖尿病をこじらせて)そうなってしまったのは自己責任よ。」

 

辛辣に聞こえたこの発言。それでも一理あるなと複雑だった。

 

   

 

俺の母親は幼少の頃に父親を交通事故で亡くした。働き盛りの父親を失い、暮らしむきは急速に悪化していった。もともと中流と言える家庭でもなかったために、誰の目から見ても貧しい生活へと突入していったのであった。母親とその姉はきれいとは言えない衣服を纏い登校し、一方で下校後にお菓子を頬張るなどは夢のような話であったそうだ。祖母の苦労は想像を絶するほどであったといまも母親が語ってくれる。その様子は、ともすれば困窮を極めた生活の基盤がいつ路上に移行しても全く不思議ではなかったのだろう。ボロを身につけたその姿に心ない言葉を浴びせられたこともあったそうだ。母親一家を支えていたのはもはや人としての根本的な尊厳だけだったのかもしれない。

 

少し感情的になっている母親をよそ目に、俺はいまだに問題の根本も解決策も浮かばなかった。いまの自分があるのは血のにじむような思いをして幼少期を過ごし、家事に育児に勤めに奔走していた母親があってのこととは思う。しかし母親のような当事者意識を持って、目の前に繰り広げられた片足のない男性と向き合うことはおそらく叶わない。

 

保育園や就職に関するだけではない。日本には様々な問題を抱えている人々がいるはずだ。個人レベルでできることなど高が知れている。有力者やNPO、NGOが何かを唱えてもその影響力は未知数だ。制度的に最後のセーフティネットの役割を果たせられるのは現状行政くらいだろうか。取りこぼしている問題も数多あるのは事実だが、結局のところ自分たちの最後の拠り所となるのは死ねと叫ばれてしまった哀れな「日本」ではないだろうか。