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東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好き。それとウェブサービスとゲスな話をゆとり新卒なりに書きます。

中学の頃に普通に女の子に告白していた友人が5年後にゲイになっていた

 彼とは20代になっても表参道らへんでばったり会うことがよくあった。

中学の頃に「イケメン転校生」として学年全体に衝撃を与えた彼は、なかなか学校に馴染むのに時間を要した。なぜならどこか雰囲気が一般的な男子生徒と異なっていたからだ。

 

そんな彼をよく観察していると、ある特徴が見出された。

彼はとても女子生徒と仲が良いのである。

 

誰が見ても火を見るよりも明らかなこの特徴は多くの男子生徒の嫉妬を買った。俺たちは思春期のど真ん中にて、何よりも距離を近づけたいが高難易度のリアル恋愛ゲームをラノベにありがちな学校を舞台に演じていたからである。

かつての文豪たちもその豊かな思春期独特の感受性を惜しみなく作品に落とし込み、高尚だとされた文学作品集たちも悩みに悩んだ末、結局は愛と性欲をいかにオブラートに表現するのかに苦心していた様子である。あのショパンですら思春期の柔く繊細な曰く名伏し難いあの感情群を「ノクターン」の作品たちに投影していたが、それを若き日の浅田真央が曲とほぼ一体化してリンクを滑る様は時代を超えた芸術そのものであると感若干14歳の俺でも感じていた。

話がそれた。

ふと、俺は決まりの悪い光景に出くわしてしまった。

20代のころには同性愛者としてカミングアウトする彼が、とある女の子に階段の踊り場で告白していたのだ。

彼と彼女は同じクラスでとても仲の良い様子で、いつも冗談を言い合ってはじゃれあう様子だ。繰り返すが彼はとても女の子と仲が良い。

そんな彼であったが、どうやらその恋は実らなかったようだ。あとで聞いたところによると、その子にはずっと想い続けていた男子生徒がいたのだ。彼がそれを知っていたかどうかはまさに神のみぞ知る。結局、愛の告白がなされたあとも、彼らはいつもと変わらぬ様子の仲の良さであった。

時は流れた。

現代の若者が様々なSNSに興じているように、俺らにも流行りのサービスがあった。中学のころには「前略プロフィール」が、そして高校生のころには「mixi」がそれに当たる。かのサービスたちは最後のガラケー青春時代を過ごした俺らにとってはごくごく一般的であった。

そんなmixiの「マイミク」に、彼の名前が加わった。

彼のペンネームが「マイミク候補」らしきで登場したのだ(記憶が曖昧)。俺は興味本位で彼のページへと進んだ。

   

やはり相変わらず女友達が多い。しかも類は友を呼ぶとはまさにこのこと、綺麗な顔立ちの彼を囲むのはそれに全く違和感を与えさせない女の子たちである。めちゃくちゃ可愛い女の子たちとの交友関係がSNS1.0のmixiであらわにされていたのだ。

そして時が経つこと2年後、俺はついに20になったころだ。彼と表参道でばったり再会した。俺は女の子と二人で遊んでいた最中で、信号待ちをしていたときに後ろから肩を叩かれた。驚いて振り向くと、やはりモデルのような彼の姿がそこにあった。

「よお!◯◯!ひさしぶりだね!」

少し鼻にかかる彼の高い声が、俺に中学生のころの記憶を呼び起こさせた。しかし中学のころの彼とはその容姿ですら比較にならないほど垢抜けただけでなく、目から放たれる独特の湿り気には俺の記憶を大幅にアップデートする必要を感じさせた。彼はほぼ別人になっていたようだ。

 

それからしばらくして彼からFacebookでの友達申請が届いた。mixi時代の懐かしさを思い起こしながら、彼のページへと飛んだ。

やはり彼は端正な顔立ちをしていた。ここで我が目を疑ったことがある。かつて彼を囲っていたのはめっちゃかわえー女の子であったはずだ。しかしいまの彼を囲っているのはめちゃくちゃイケメンな男たちだったのである。

すべてがつながった。

彼が中学生のころに打ち明けた当時の思い女への淡い恋心はかつてヘッセが書き写した行き場のない感情の大波そのものであったのだろう。それでも一般的な枠組みでは計り知れない彼の繊細な感受性が、きっと各種SNSにポストされ偶然にも俺が目にするところとなったのだろう。彼も、その周りの女の子も男の子も、みんなキラキラとした笑顔が特徴的であった。そんな彼のタイムラインから流れてくる、二人の美男子の写真はもはや芸術領域のような美しさを印象付けてくれる。自分の知らない世界を垣間見た瞬間であったが、不思議と「俺は俺」「君は君」としてうまくすみ分けることができたのかと思った。

 

半月ほど前に、俺はマレーシアでAirbnbを利用して高級マンションにお邪魔させてもらった。家主は見た目30代前半、話し方や目の潤いを見るに、中学のころの彼を思い出した。

その家主との会話で、自分に彼女がいるのかどうかの話になった。一通りの返答をすませた俺は彼に「彼女はいるのか?」と質問をしてしまいそうになった。彼が異性愛者でないことはなんとなくかつての経験から推測可能であったからだ。

結局俺はこう聞いた。

「パートナーはいるか?」

その質問は非常に他愛のないものであったろう。しかし彼はほっと安心した様子を隠す様子なく続けた。

「うん。一緒に暮らしている。でも彼は現在仕事でこの家を留守にしているけどね」

俺は翌日、その家主のパートナーとも対面することになった。

彼ら二人の様子は、街を行く一般的な異性カップルのそれと全く相違なかった。

 

ふと思うのだ。俺はいままでゲイの人に思いを寄せられたことがない。いざ彼らに想いを打ち明けられたとして、俺は彼らとどのように向き合っていこうと判断するのか。現在までの薄っぺらい、一見すると「理解者」のような姿勢も、ともすると簡単に崩れ去ってしまうのではないかと思うのである。

 

「女とかゲイに関わらず、だれかと寝たらもうあなたと寝ないからね!」

俺にそう言ってくれた女の子がいた。

この一言に本質のすべてが集約されていると考えている。

だれかへの想いは性差も国境も超える。