150万円と数千時間を投じたんだよ!合唱祭のピアノ伴奏に
9月も下旬に突入した。残暑はその勢いを失わせていよいよ秋の足音が忍び寄る。
最近めちゃめちゃ検索流入で読まれるようになった記事があります。これ。
どうやら世間の中高生たちは秋の祭典の準備に取り掛かったのだろうか、それとも真っ盛りなのか。
- 「合唱祭 かっこいいピアノ男子」
- 「合唱コンクール 伴奏 男」
- 「ピアノ 伴奏 男」
- 「ピアノ 男子 メリット」
感無量とはまさにこのこと。合唱祭でピアノを弾きまくってきてよかった。世の悩める男女に一筋の希望を見せつけてやった気がする、はずだった。
この記事は正直言って中高生向けではないのである。せめて大学生になってから読んでもらえた方が記事をより高らかに嘲笑できるというものなのだ。おそらく検索でいらっしゃる読者の方々の年齢は10代が大半だろう(秋には合唱祭イベントが多いから)。なので20代も佳境を迎えた僕が改めて「女の子と闘うための武器」としてピアノを定義した記事であったため、その読了感は猛毒に侵された気分さえしたことだろう。あしからず。
では本題。
合唱祭でのピアノ伴奏のウハウハ具合
何はともあれ、合唱祭で男がピアノを弾くというのは想像絶するほどの注目を浴びると考えて間違いない。実際に僕も体験してきたが、とにかく女の子のはしゃぎっぷりが半端じゃない。キャーの後にアーがありハアーンという具合に黄色い声援が彩度を高めていく。前奏が始まればクラスの3分の1の女の子が渇きを失ってしまうのではと危惧するほどである、誇張。
なので、どん底の生徒活動に嫌気がさす前に取り組むべきはピアノである。ピアノこそ世の男子と一気に差別化を図る最良の手段である。なぜなら希少性が高い上、女の子の習い事というイメージが根強いからである。また日本の多くの中学または高等学校で合唱祭の類を開催するからである。運動会とセットとの風物詩、中止になる方が珍しい鬱イベントの一つである。そんな鬱イベントも女子の声援と男子の羨望の眼差しを一気に集めて無限の彼方の確変状態へと変貌させられる、それがピアノである。
ちなみに言っておくが、音楽室で牧歌的に牧歌を奏でるがごとくの風景であれば、ピアノ奏者として極大的な喜びに浸ることが可能だ。これが合唱祭当日を迎え一挙に競技性を帯びるとなると、余計なプレッシャーが襲いかかってくるのである。失敗してしまえばせっかくもたらされるであろう名声と女の子が台無しになってしまうからだ。僕はこのプレッシャーを毎年のように跳ね除けるのに大層苦労した。時には不安で眠れないので、家の雨戸を閉じきってまでピアノを練習することもあった。そうでもしなければやっていられないのである。ピアノの不安はピアノで解決するしかないからだ。
ピアノ伴奏を務めるまでの苦労と費用のヤバさ
話は変わる。当たり前だがピアノは非常に金のかかる習い事でもある。僕の場合は幼稚園の頃から8000円の月謝を10年近くも親が負担してくれた。講師料だけでも100万近い出費である。もちろん結構な量の楽譜も購入した。中古とは言え数十万円のピアノが実家にある。その他にも発表会だなんだ、とにかく贅沢な習い事であった。今思えば恐ろしいほど家計を圧迫していたはずだ。
さらに、習う側の個人としてもかなりの拘束時間を覚悟しなければならない。僕の場合は小学校の後半からは1日に2,3時間の練習を強制された(親からすれば、月に8000円も投資しているのだからやはり成果がないことには圧力を強めるのである。その強制力がなければとてもピアノと向き合うことはなかっただろう)。平日は学校が終わると17時までは自由。その後2,3時間のピアノの練習を経て風呂に入る。風呂から上がると宿題に取り組み、家族と9時頃にご飯を摂る。残りの宿題を片して10時半には床に着く。これが永遠と、永遠と小学校のうちに続けられたのである。
特に小学校5年生の頃が一番きつかった。宿題の量が尋常じゃなかったからだ。それでも小学校5年生は僕の人生の中で最も重要な時間だったとも思えるのである。勉強にピアノにサッカーに、過労で倒れるかと思うほどだった。
まとめ
こんな具合の小学校生活であったから、僕が中学校に上がってみんなのピアノ伴奏を務めて、すげえ!かっけええ!タッチャーン!と言われても、ちょっとくらい良いではないか!要領の良くない自分はものすごい負担を抱えながらも、やっとこさ合唱祭の晴れ舞台に登ることができたのである。ピアノができてうらやましいだと?とんでもない。僕が賜った女の子たちの声援と潤んだ眼差しには数千時間以上の時間的価値と150万円以上の金銭的な価値があったんだぞ!わかるか!
ごめん、父ちゃん母ちゃん、ありがとう!