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【書評】中世ヨーロッパの「夜の営み」がめんどくさすぎる

f:id:esimplicitaes:20160514123505j:plain(画像出典:http://store.ponparemall.com/acomes/goods/40692/)

おまえは、妻か別の女と、犬のように背後から結合しなかったか。もししたのなら、パンと水だけで過ごす10日間の贖罪を果たさなければならない。

 出典:西洋中世の愛と人格 阿部謹也著 朝日新聞社 P.102

中世ヨーロッパでの社会的なルールはカトリック教会に規定されていたことでしょう。まさか「夜の営み」や男女関係にまで厳しく言及しているとは思いませんでした。これを現代の男女関係と比較すれば息苦しさと違和感を覚える事間違いないしです。

 

誤解を恐れずに高校世界史レベルに単純化すれば、中世ヨーロッパは禁欲的で、呪術・動物らしきを嫌うのだと表現できます。これらはローマ・カトリック教会経由の「神の思し召し」ではありますが、注目すべき現代との価値観の違いは「夜の営み」にあると強烈に実感しました。

 

以下はちょっとだけ閲覧注意です。男女関係がどのように規定され、どのような罰がかされるのか、『西洋中世の愛と人格』という本から引用して考えてみましょう。

 

結婚後の男女関係

おまえは妻が生理の時に結合しなかったか。もししたのなら、パンと水だけで過ごす10日間の贖罪を果たさなければならない。(P.102)

生理中に営んではいけないという規則ですね。これに関しては理解の範囲ですが「パンと水だけで過ごす」というのは厳しいですね。

おまえは、妻の胎内で胎児が動いた後に、妻と結合しなかったか。あるいは出産の40日前に妻と結合しなかったか。もししたのなら、パンと水だけで過ごす20日間の贖罪を果たさなければならない。(P.103)

罰が20日に延びました。それにしてもパンと水だけとは。

ちなみに冒頭のように「背後から犬のように結合」とありますが、当時カトリックが許した体位はいわゆる「正常位」だけであると著者は述べています。ちなみに「正常位」は英語でmissionary positionと表現されているので、なんだかカトリックの権威が現代にも脈々と受け継がれている様相が伺えますね。

ちなみに「背後から犬のように結合」するようなものはabnormal position (尋常ならざる体位)と表現されていました。尋常ならざる。

 

近親者との「夜の営み」

著者によると、男性とその母親および姉妹との肉体関係にも言及があります。また、兄弟間のホモセクシュアルな関係も厳しく罰せられていたようです。

前者(注:男性と母親および姉妹)には15年間の贖罪と日曜以外は服を替えない罰が科されている。後者については15年間肉食が禁じられている。

(P.99)

日曜以外は服を替えてはならないとは、すなわち臭うということですね。臭うという事は社会生活にひどい支障を来しかねない事態に陥りますので、とんでもない厳罰ですね。また解釈によってはこれが15年間続くということでしょうか。家から出たくなくなります。

ちなみに15年間の肉食を禁じられるとそれはたんぱく質が不足するので健康に重大な問題が生じかねない事態になるおそれがあります。15年間。肉食を禁じる意図は、カトリック側が「人間は動物に優越する」という思想に基づいていますので、「人間らしい生き方」というのを取り上げる罰なのではないでしょうか。

 

その他

以下は番外編として参考掲載します。閲覧注意です。

  • 肛門結合:7日間の贖罪
  • 口内射精:3年間の贖罪
  • 口内射精が習慣化している者:7年間の贖罪
  • 夢の中で意図的に射精した者:起きて詩編7つをよみ、その日はパンと水だけ

こうしたパンと水だけの贖罪に耐えられない者には朗報があります。お金です。教会にお金を払う(寄付)ことで罪を償うことができます。しかしパンと水だけで過ごすような罰が一般的であり、さらに現代に比べ貨幣経済もそれほど発達していないであろう当時を考えると、お金で解決するのは現実的でない気がしますね。

 

まとめ 

このように中世ヨーロッパのカトリック世界では性的な事柄に関して非常に厳格な方針をとっていることがわかります。

なぜこのような方針を取らなければならないのか、歴史を大観するとした場合は、ローマ帝国の崩壊による無秩序があり、そして台頭するゲルマン人勢力に対抗する必要性がありました。秩序の回復のために個人的な事柄に踏み込んだ規定を設けて統制を取り戻し、さらに他の教会・世俗勢力との対抗していかなければならなかったと、整理するとわかりやすいでしょう。

繁栄を謳歌したローマ時代から、貧しい混沌とした中世の時代へ。

 

最後の引用です。

夫の精液を食物のなかに混ぜて夫に食べさせた妻は、2年間の贖罪を果たさなければならない。(P.99)

文字通り解釈すれば「変わった趣向の方」と言われかねませんが、当時はこうした迷信や呪術的な考えがゲルマン人の世界では広く浸透していました。ですので呪術的な習慣を厳しく罰することで、ゲルマン人を「西欧化」し、教会の力を広めるための試みとして解釈することが可能です。

続きが気になるという方はこちら西洋中世の愛と人格―「世間」論序説

 

このように中世ヨーロッパでは「夜の営み」や男女に関しては非常に厳しく規定が設けられていますね。これらはカトリック教会拡大における1つのプロセスとして頭においておくと良いでしょう。こうしてカトリックは強大な権威を得ると、やがて世俗勢力との争いによる疲弊と聖職者や教会組織の腐敗化に陥ってしまいます。結果として対抗勢力であるプロテスタントすなわちルター派やカルヴァン派とを生む宗教改革に突き進むことになります。

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本書『西洋中世の愛と人格』に書かれている内容は、ヨーロッパにおける個人と社会の関係を元に、日本人の「世間」という目に見えない意識を相対化しようという試みがあります。ですので個人と社会との関係を規定するに至った、カトリック教会の存在とその方針とに記述の重きがあります。カトリックは「告解」(教会で牧師に自分の罪を告白すること)という制度を設けて人々に内省を促し、人心を掌握した教会は西欧カトリック世界の秩序の中心に君臨しました。結果としてその内省が個人としての自覚を形成するに至ったことが書かれています。内省させるためには個人の「夜の営み」等のセンシティブな内容にまで干渉しなければならなかったということでしょうか。これによって西欧における個人は「神」とのつながりに自らを規定することができ、その一方で日本人はこうした関係性が「個人」と「世間」との関係に規定できるのではないかと考察されています。

 

この本は必読ではありませんが、日本人と西欧人の考え方の根本的な違いや、現代に起こり得る様々な事柄を解釈するための、一つのフレームとなるとか思います。

 

tokyo-fullthrottle.hatenablog.com