東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好きだったんですがもう仕事に毒されてしまったのです。

馬のマスクつけて山手線一周したら高熱に襲われた

f:id:esimplicitaes:20160323205808j:plain

馬になった瞬間から違和感はあった。罰ゲームのような気がしたともつぶやいた。結果的に天罰を受けた。23日から2日間寝込んだ。馬になったせいだ。

 

 

 動機とか経緯とか目的は以下記事をご参照ください。

tokyo-fullthrottle.hatenablog.com

 

本当は事細かく写真とか載っけたりそんときのツイートとか埋め込んだりして報告したかった。しかしあのような天罰を課されてしばらくたつ今、せっかくもどった体調が再び台無しになってしまっては悔やんでも悔やみきれない。馬の呪いか馬の神の天罰か、俺の先祖のお怒りか、その由はわからない。いまだに背中に妙なだるさがあるのも辛いし怖い。

 

当初乗車予定だった池袋駅では人が多すぎで恥ずかしかったので、隣の大塚駅で馬のマスクをつけて山手線に乗った。本当ならここも事細かく掘り下げたかった。

本当ならこの記事は3月23日の夜にはあげたかったんだが、書いててものすごく体調が悪くなってくので中止。そしたらだるさが高熱を呼んで気が付いたら39.3度になった。

意識が朦朧とするとはこんな感覚なのか、インフルなのかとも思ったが、この高熱は25日の朝には37度まで下がってしまったから不思議だ。もちろん一切の薬は服用していない。本当なら連呼しすぎた。

 

前振りはともかく23日のお昼に実行した結果を報告する。

 

f:id:esimplicitaes:20160323192158j:plain

 大塚駅でいったん下車してカフェで試しに馬になった。そのあといったん人にもどって

 

f:id:esimplicitaes:20160323193101j:plain

 大塚駅にもどる。

 

f:id:esimplicitaes:20160323193203j:plain

この人たちについていけばきっと

 

f:id:esimplicitaes:20160323193357j:plain

エスカレーターの先に価値観の揺らぎを体感する舞台が整っているが

 

f:id:esimplicitaes:20160323194313j:plain

トイレで馬に変身しなきゃねってことでプーさんに挨拶してマスクかぶったんだけど

 

f:id:esimplicitaes:20160323202616j:plain

視界せんっっっっま

 

ここまできたら仕上げのグッズに手を伸ばした。

 

 

下駄を用意した。なぜ下駄なのかと言われれば、それは自分のこだわりとも責任感とも形容できる。馬には蹄があるが我々人間には足底に薄い皮が層を成しているだけである。彼らは我々には奏でることの叶わぬ優雅なタップダンスを踏むことができるのだ。そう、「パカラパカラ」という具合の美しい響き。そんな彼らと我々との埋めがたき溝を埋めるうるのはこの下駄しかなかった。そう「カランコロン」という骨太な響き。下駄こそビジュアルも実にクールであるとの独断と偏見も織り交ぜた、最適解である。ハイヒールではだめなのだ。

 

そして俺は馬になった。

 

f:id:esimplicitaes:20160323205808j:plain

 できるたげ馬であることに浸りたいのでコスチュームにも気を使ったつもりである。

  • クマのプーさんのトレーナー
  • タイで購入した数百円のサルエルっぽい民族衣装?
  • 下駄
  • ももひき

これに白い馬のマスクをかぶるのである。おれは山手線で山手線を駆け回る白い狂人サラブレッドに豹変することが叶った。この格好をしてエスカレーターを上がった時、いかに人間社会、否、日本社会が「異質なもの」や「気味の悪いもの」に対して冷ややかな目を投じるのかを体感することとなった。

f:id:esimplicitaes:20160327142812j:plain

 

ホームに車両が入線してきたので新たな価値観のドアが開かれるのが待ちきれなくなってしまった。

 

f:id:esimplicitaes:20160323205832j:plain

 

電車に乗り込んだおれはすでに風景の一部とかしてしまった。せっかくキメキメのある意味キメキメの気分で乗り込んでしまったのに隣人たちはやはり微動だにしない。

 

ここからは車両に乗り込んで以降のツイートを中心にお送りしたい。体調に異変を覚えたのはちょうどこの頃であった。

ここまで来たおれは山手線を装備なしで一周した場合の約1.6倍ほどの疲労感があった。それもそのはず、マスクをした状態では視界の狭さを感じる以外にも酸素の薄さが視野を漠然とさせていくのだ。

たまに聞こえる「あ!お馬さんだ!」との黄色い歓声は一度きりしか届かなかった。故事成語である「馬耳東風」とはよく造られたものである。もっと聞こえてもいいではないか。

そしておれの席の両端は混雑時を除いて誰も座ろうとはしなくなってしまった。

そこまでして自分は異物扱いを受けなければならなかったのであろうか。

とはいえポジティブな反応も一瞬だけあったようだ。

 

たまたま電車に乗り込んだ外国人が「Wow!」との表情を浮かべたかと思えば、すぐさまモバイルデバイスでおれの豹変ぶりにストレージを割いてくれたのだ。パシャりと音とともに彼の笑顔と思い出も写真に収納されたようであった。

 

一方で邦人たちはやはりおれをのけ者にしようと躍起であったようだ。軽くゲテモノを軽蔑する眼差しをおれに向けたかと思えばすぐさま自分の世界に入っていった。ひとりふたりではない。ほとんどだ。そんな仲間はずれが悔しく、あるひとりをじっと見つめてあげることもした。しかし彼はやはりこちらを振り向こうともしない。頑なに無視を決め込んでいるようだ。

 

普段のおれならきっと迷惑に思う話であろう。一昔前、まだ外国人の存在が珍しかったころならどうであったのだろうと思いを馳せた。きっと彼らもこのような視線を投げかけられたのであろうと考えると、おれの価値観は一気にワールドワイドな代物に変わっていく気がした。気がしただけであろう。

 

そしておれの「馬旅」というか「価値観への挑戦」は幕を閉じた。人々にどんな価値観の揺らぎを施せたのか、その揺らぎにおれの価値観がさらに大きな振れ幅をもってして劇揺れしていくのか、その結果は芳しくはなかった。

 

ただ目の当たりにしたのは外国人と日本人との反応の違いであろう。外国人がとても興味深くも暖かい目でおれを彼の網膜に映し出したあの光景は、列車に居合わせた大多数の日本人にはとっては奇異に映ったことだろう。少なくとも異なる二つの文化という色眼鏡を通すだけでも、同じものが異なるものに映ってしまうのだろうか。日本人の反応に寂しさを覚えたつもりはないが、いかんせん巨大な疎外感が自分の価値観を揺るがしたことだけは強調しておきたい。

 

そんなことを考えながら記事を書いていた。うまくまとまらなかった。たばこをふかして気分を変えた。気分は重くなる一方だった。体を覆う筋繊維が粘着質の何かにモードチェンジしようとしているのがわかった。

おれの体はいっきに倦怠感に襲われた。

飲み会の約束があったのでだるい体を引きづりながら移動した。そこでビールを1杯、ウーロンハイを2杯飲んだ。だるさは軽くなるどころが固まり始めていた。

家で風呂に入るといよいよ吐き気を催してきた。トリキの安酒を恨めしく思う自分がいまでは可愛くも思える。そのまま嘔吐した。

ふとんに入ると震えが止まらない。武者震いの類か、出走前の震えなのか、おれ以外の何者かがおれの体を蝕んでいくのである。

熱を測ると39.3度の数字であった。意識が朦朧とする中ふたたびふとんに入って夢に落ちた。