あなたの誕生日の本当の意味
「明日誕生日だからプレゼントよろしく」
仲のいい友人であるAに言われたこの一言が、かつてどこかの誰かに言われた一言を思い起こさせた。
「君の誕生日がどんな意味を持つか考えたことがあるかい?自分の誕生日は誰かにプレゼントをねだるよりも、むしろ自分が誰かにプレゼントを用意しなければいけない日だと思うんだ」
「君が生まれた日というのは、だれかが命を危険にさらしながらもそのミッションを達成した日であるかもしれないんだよ」
俺はこの一言があまりにも実感に乏しかったので、なんてリアクションをとればいいのか途方に暮れてしまった。
自分の誕生日ってのは、親や兄弟が祝福してくれてプレゼントを受け取る日、または友人や職場、バイト先から祝福を受ける日。これを当たり前のように考えていた。
まさか20数年前に自分の母親が命をかけて自分を産み落としてくれた日なんて考えてみたことすらなかった。
父子家庭の友人Bが授業中に泣いていた
そういえば小学校のときに父子家庭の友人Bがいた。今回おれに誕生日プレゼントをねだってきた友人Aとは別の友人だ。
彼は小学校5年生当時、明朗快活でクラスの人気者であった。運動も得意であり、学校行事には積極的に参加しているし、小学生の鏡のような存在であった。
そんな彼がある日授業中に突如として涙を流したことが自分にとっては忘れられない。
授業で扱っていたのは「母の日」に関するもの。だれが決めたのかはいまだにわからないが、5月の第2週の日曜日には母親に感謝とカーネーションを贈ろうというものだ。
授業中盤になって、先生がなにかの異変に気付いたので、授業を中断することになった。来客があるとのことで授業は自習時間に変わり、その代わりにBだけがその来客のために同行するとのことであった。クラスが騒然とする中、先生と友人Bだけが教室を後にしたのであった。
その二人の姿を見届けたあと、俺の隣の席の友人Cが友人Bについて話をしてくれた。
「友人Bが生まれた日ってのは、友人Bの母親が亡くなった日なんだ。それも彼が産まれると同時に母親が命を落としたんだ。彼の命は母親のバトンそのものなんだ」
「いま教室を出て行った彼の顔を見たか?母の日のトピックに目を腫らしていたよ。たぶん先生はそのことに気づいて授業を中断したんだろうな」
自分の誕生日とは母親が命をかけた日
こんな話を聞かされても、自分の家庭環境との隔たり故に友人Bの気持ちまで汲むことは難しかった。涙を隠すように教室を後にした彼の気持ち、不謹慎ではあるがまったく理解できなかったのだ。
それから時は流れ20代に差し掛かった矢先、ある飲みの席で記事冒頭のような話を振られたのであった。
「自分の誕生日とはどんな意味をもつのか、それは母親が自分の命を危険にさらしながらも君をこの世に迎え入れてくれた日」
この言葉が友人Bのエピソードにやっと重なった瞬間であった。以来、俺は自分の誕生日を迎えるたびに、何かを考えさせられるようになった。
20代前半で社会人となった現在、おそらく以前よりも親と対面する回数は激減していくことだろう。自分と親の物理的距離が大きくなっていっても、その距離が親への感謝を遠ざけてはしまはないようにと気持ちだけは忘れないようにしたいものではある。