東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好きだったんですがもう仕事に毒されてしまったのです。

小学生の時に見た「耳をすませば」と24歳になって見た「耳をすませば」

 10歳の頃。おそらく2002年の7月中旬。はじめて金曜ロードショーで「耳をすませば」を見た。

当時の僕にとって21:00以降の番組は深夜番組に等しかった。厳しい父の教えだったから。21:00就寝は鉄則だったから。ところが例外的に「深夜番組」を見ることができた。父が許した理由は2つ。僕が「耳をすませば」をみたことがなかったから。そして、それが「金曜ロードショー」だったから。父は金曜ロードショーには比較的寛容なのだ。ただしジブリの放映日だけ。

 

 

わくわくしながらリビングに置いてある28インチのブラウン管テレビを見つめる。いまかいまかと待ちわびる。そして始まった。

「きーんよーーーーーーろーーーどしょーーーーーーーー!今夜はあああ!!!あのスタジオジブリのお届けするうううううう…」

そんなテンション高めのアナウンスと同時に、BGMとして聞き慣れた「カントリーロード」の音色がスピーカーから放たれる。まるでテレビの後ろに指揮棒を握る紳士がおられるかのよう。たったいま、我が家のリビングがサントリーホールへと変貌したのである。いや、芸術劇場かもしれない。いや、新橋の地下かもしれない。

 

僕は食い入るようにストーリーを追う。当時中学生であった兄の私生活と、聞きかじっただけの中学校生活をたよりに。小学生の僕はすべての集中力をかけて目を見開き、声優たちの声に鼓膜をふるわせる。

 

僕は見つめた。

しずくの大人っぽさを。

 

僕は見つめた。

せいじ君のかっこよさを。

 

僕は見つめた。

バイオリンを奏でる姿を。

 

僕は見つけた。

中学生のプロポーズを。

 

僕は聞いた。

本物のカントリーロードを。

 

上映が終わった。眠気も忘れ、なかば放心状態へと陥った。

すばらしい作品だった。

小学校の教室で毎朝歌っていたカントリーロード。

いったいどんな歌なのか。なんの主題歌とも知らず。

やっと、やっと。僕がたどり着いたカントリーロードは、耳をすまさなくても気配を感じ取れる。僕が目指すべきカントリーロードはあの二人のような大人びた世界。今僕は時をかけた。

 

 

 

ひさしぶりに家族で食卓を囲っていた。

今日のご飯は鍋とのこと。金曜日の夜に実家の門をたたくなんて、なんて親泣かせだろうか。それでも父がどこか嬉しそうだった。なぜなら今日は金曜ロードショー。我が家の金夜は日本テレビが放映権を行使する。

あれから14年以上もの歳月を経たのか。画面に現れたのは「耳をすませば」の文字。

 

僕はおぼろげながら、当時いだいた感動に思いをはせるのであった。

 

僕は鍋を横目に見つめた。

しずくの子供っぽさを。

 

僕はお箸を置いて心配した。

せいじくんの中二病を。 

 

僕はごくりと唾を飲み込んで見つめ、画面と脳裏に映るその姿を重ねた。

バイオリンを奏でるせいじくんと、ピアノの練習を強制されていた自分を。

 

僕は赤面した。

中学生のプロポーズに。

 

僕は聞いた。

あの懐かしのカントリーロードを。

 

僕はもうまともにジブリの「耳をすませば」を堪能できなくなっていた。どうしても直視できないのである。過去の自分を思い起こさせる描写が妙に直接的で、どこか懐かしくも羨ましいから。そんな「耳をすませば」を純粋に見ていたころの僕にも、ある種の妬ましさを感じるから。

中学生のプロポーズだなんて…として、バカにしたり冷めた見方をしたいわけじゃない。ではどうして。

 

幼稚園を卒業するころ、僕の憧れは「コナン君」だった。それは「高校生が小学生の体になっている」というとんでもない設定がゆえだろう。「コナン君」はおよそ考えられない知識量と推理力で問題を解決していく。超小学生級の存在感たるや画面越しにも伝わるのである。

 

そして僕は「のび太」をばかにしていた。「コナン君」に比べると桁違いの出来の悪さに気分が悪くなるからだ。

 

だからこそ、僕は「コナン君」を目指していた。必死に追いつきたい、彼のように大人たちから一目をおかれたい。正当な背伸びによる優越感へと浸りたい。でもわかっている。彼の中身は高校生。僕は6歳。はあ。

 

それでもその日は突然やってくる。気が付いたら僕は高校生になっていた!

そこにあるのは「コナン君」のようなエキサイティングな世界ではない。つまらないただの高校生活。受験勉強?そんなの「名探偵」には必要のない科目たち。恋愛?人並みの恋愛に「ラン姉ちゃん」の存在などやかましいだけなのだ。ましてや黒衣の悪役などだれにも務まらないのにだ。

 

僕は10代後半にこのような「絶望」の深淵を除いてしまったのである。ぼーっと見ているだけでよかったはずなのに、耳を澄ましてしまったばかりに、ある種の自己嫌悪に興じるなど情けない。

 

そして僕は食卓をあとにする。中二病やら高二病やらの後遺症の苦しみから解かれるまでは「耳をすませば」の世界観を遠ざけるため。許されるべきは聖蹟桜ケ丘の画像検索のみだ。その目で見てきやがれ、出来損ないの社会人!車にきをつけろよ!