東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好きだったんですがもう仕事に毒されてしまったのです。

高圧的な言葉遣いのおじ様に希望ある日本の姿を見る

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初対面の人に対してタメ口をきいてしまう尋常ならざるコミュ力の持ち主には全く頭が上がらない。少々の長文を覚悟で尊敬してやまないおじ様たちへの尊敬の念を綴る。

僕はカウンター席のあるアメリカンともイタリアンとも言えない洋風バルのカウンター席でビールをすすりながらPCを広げて作業をしていた。

隣のとなりの席に陣取るは畏敬の念さえ禁じ得ないほど豊かな下腹部を披露する、60代に片足突っ込んだご様子のおじ様だ。

そのおじ様のコミュニケーション能力にかつての日本が謳歌したであろう、自身の体格に似た古き良きJapan's Cool 1.0を想像させられた。

 

おじ様はカウンターの向こう側にいる、アホ面の自己主張弱めなスタッフにこう言い放った。

「おい、ビール。ところでお前新人だろ。」僕はおじ様のこうした恐れも知らぬ伝統と革新とが混ざり合ったコミュニケーションのスタイルに衝撃を覚え、思わず作業の手を止め耳を傾けることにした。

「最近の若い奴らは本当に、なんだそのチリチリの髪の毛は。」

 

おじ様を前にした「アホ面かつ自己主張弱め歪なコミュ障」スタッフは、まったくもってそのコミュ力では太刀打ちできないようだった。

おじ様はあえて一周回った馬鹿丁寧な話し方をしては若者受けを狙ったトーク術でこのバルに一石を投じようと躍起であるというのに、この愚鈍スタッフはただただ決まりの悪そうな表情をするだけの無能なのである。

誰かに助けを求めるような弱々しい目線がバルのいたるところに乱反射しては行き場をなくしているのは明らかであった。親とはぐれてしまったカモシカの子どもが今まさに保護を求めている。コラコラこっちを見るでない。

 

おじ様は続けた。

 

「お前、もしかして大学生だろう。俺たちの頃はな、みんな授業なんか出ずにひたすら遊び呆けていても就職先は決まっててだな、いい車にいい女をこぞって欲しがるほどの野心溢れる…(割愛)」

おじ様方がお造りなさった崇高な価値観が支配する古き良き日本のあるべき姿に適合できない、ただただ都会の薄暗さに埋もれ希望の彩りすらなんたるかも心得ない若者の姿がそこにあった。

僕はビールをまた一口すする。

 

それにしてもこの若者はひたすら感性に乏しい様子だ。

おじ様がかくも気を利かせて若人に前衛的な尊敬表現を駆使したヤバい絡み方をしたというのに、こやつは一向に応対する気さえ伺わせないのだ。

僕ならまず間違いなくそのおじ様のお腹に宿されしラードたちに慇懃無礼なご挨拶でも申し上げなければならないと存じていたのにだ。

そしておじ様の豊かな教養に裏打ちされた偉大な演説技法とやらをぜひご教示いただきたいと願い出たくもなる。

ならないのか?壁画にしるされた自堕落ローマ人も目を見開くであろうほどボリュームを惜しみなく強調するこの腹。

自然の造形物とも人類のアートとも判別不能であるこの神聖な出で立ちが、なぜ彼おじ様を有名著名たらしめなかったのであろうか。

これこそ大日本の大損失であるとはおそらく若者はもちろん当のおじ様ですら考えは及ぶまい。

おじ様のイケてるコミュ法とやらで応戦したいのも山々、僕は半分以下になったビールをまた一口すする。

僕は自分の貧相なお腹を見るにつけ、徐々に恥ずかしみを覚えはじめると、大日本への帰属意識の顕著な減退がこんなバルであろうとも急に居心地の悪さを演出しはじめたからだ。

 

僕はここで思い出した。

 

英語はどんな人ともコミュニケーションをとることができる共通言語。したがってバカでも話を通じさせられるおもちゃ的ツールである。

これと同様の位置付けにあるのがいわゆる「丁寧語」と呼ばれるものだと考えていた。

この丁寧語とやらを使えば、見ず知らずの人間にも簡単に話題を振ることが叶うが、表面的な丁寧さは双方の関係性を必ずしもくだけたものとは規定しない。

それは双方の非公式な合意があってこそガラス仕様の丁寧語にヒビを打ちえるからである。

 

僕はおじ様の粗野無骨とは無縁の全知全能を前に、そら恐ろしくすらなってきたので、最後の一口でビールを飲み干した。

英語と丁寧語はどうも機能的に似ている、僕は浅はかにもそう考えていた。

だれとでも簡単にコミュニケーションが図れて、尚且つネイティブでない人間であればある程度の「尊敬表現」もおとがめを喰らわぬ英語の懐の深さを甘く見ていた。

おじ様はグローバル人材にとって必須となるコミュニケーション能力がなんたるかを図らずもバル全体でご高説吹聴なさったご様子である。

かのおじ様は相当に勉強家で雄弁家、下賤の民たる僕らへの施しを怠る素振りは一切みせつけようとはしない。

 

ところで僕らには誉れ高きミッションがある。

おじ様のような人徳あふれる人々を高機能高性能な年金システムの賽銭箱を通じて未来永劫に拝み続けられるではないか。

境内にあふれるは参詣者たるおじ様、僕らは縁結びのご利益すら賜ることを遠慮してまで神々への奉納を英断したのではないか。

八百万のおじ様たちはいよいよ「仏」におなりになろう手前、我々若者の無能では到底祖国防衛の責務には役不足であるとお考えかもしれない。

いや、それはもっともなことではあるのだが、若者たちの根性なし腑抜け無様については大恐縮に震えながらも引き続きご指導ご鞭撻を賜りたいものである。

 

僕もおじ様の背中を追いかけたい衝動に駆られたのだが、やはり出てきた言葉は「すみません、生ビールください」の一言であった。

とにもかくにも年配者が「老害」なんぞと称されることなき世の中の実現が急がれる。

さあ、バンコクのおやじどもよ!帰国せよ!