読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好き。それとウェブサービスとゲスな話をゆとり新卒なりに書きます。

「ああ、生きてるわ。」って交通事故のあと思う

f:id:esimplicitaes:20160416150454j:plain

「生きた心地がしない」とはよく言ったもんで、そんなことを言ってのける者など初めから生きていないのではないか、と揚げ足をとりたくもなるのだ。

 

 

それでも、死んだコトもない人間が「死ぬかもしれない!」として、遥か彼方の天界に想いを馳せることもあるだろう。死を恐れるなんぞそれはそれは自然なことだろう。人間のみならず多くの生物は死を回避すべしとのプログラムが施されているはずだから。

   

どちらの感覚もはっきり言ってファンタジーの領域に片足どころか両足突っ込んでしまていると伝えたい。生きた心地がしないやつも、いくばくか先の死を悟った者も、みな極限状態に我が身を、我が心をも晒してしまったのであろうか。そうでもなければ「生か死か」なんて問答は人々のコンフォートゾーンを脅かし、安定的な生活を阻害し続けるではないか。心休まるはずがない。だいたいは幻覚である。

 

ここからは経験談。

俺は死ぬかもしれないと思った瞬間には立ち会ったことがある。しかしその感覚はあとで振り返ったときにのみ得ただけで、その瞬間に死を悟ることは叶わなかった。

本当の死が近づいたとき、「シヌカモシレナイ」なんて感覚はあとづけにするだけで精一杯だった。自分の意識の外側に残された品々が、無自覚にも臨終が近づいた証拠を形作っていたのだ。

 

あれは交通事故だった。

f:id:esimplicitaes:20160704222743j:plain

深夜に友人達と出かけていたときだ。見通しのよい幹線道路で、糸と糸を引くようにして仕組まれたような、事故だった。クルマとクルマの衝突に際し、俺は5人乗りの小型自動車内の助手席後部に陣取っていた。目の前に近づいてくる同じような5人乗りの小型自動車。避け切れる気すら起こらぬほどの完璧なコース取りをした二つの車両は、俺たち乗員の視界に轟音と同時に「きらびやかな靄」を立ち込めるにふさわしい役割を演じた。まるで磁石に吸い寄せられるかのように見事な衝突であった。

気がついたら車外にはオイルが漏れ、あたりには独特の匂いが立ち込めはじめた。フロント部分はぐちゃぐちゃに大破していた。おびただしいほどの人々が盛んに行き来する事故現場。救急隊員はケガ人の救助と処置に、警察官は混乱に陥った幹線道路の整理に。幸いにも友人らは大怪我を負った様子はない。ほっとするのも束の間、俺は自分の額から流血を確認した。そして出血に血塗られた眉の上あたりを片手で押さえると、もう片方の手には一つのスマートフォンが残されていた。

   

下品に反り返ったスマートフォンは、手品の素人が強引に曲げてみせたスプーンの持ち手そのものだ。俺たちは不思議な気分に陥った。得体のしれない磁場に誤って立ち入ったばかりに、抗うこともままならぬ磁力に一瞬ばかり先の未来を捕らえられた気がした。

死だ。

だがそのとき見たのは、いまや過去の光景。その瞬間に見たのは巨大な何かによって放たれた「閃光」、つまり視界を遮る「太陽拳」だけであった。死に立ち会ったであろうその瞬間は、そのまぶしさが記憶の形成に悪影響を与えたのだろうか。俺の額が「幻想的な」太陽フレアを捕らえたようで、放たれてからしばらく残存していたまばゆさが救急隊員に俺の額の「えぐれ」度合いを確認させるには充分すぎた。

 

俺の額には今も5センチほどの傷跡が残っている。

あの反り返ったスマートフォンがなければ、俺は真正面から「閃光」に粉々とされていたであろう。俺がフロントシートと格闘するほんの0.1秒前に、わずかにはやくスマートフォンが最後の盾と化したのであった。

衝突の瞬間、フロントシートに額を打ち付けるところであった。たかが時速30キロほどであっても、ぶつかる瞬間、「慣性の法則」に支配された我が肢体は自らをギロチンへと変貌させうるほどだ。しかし、たまたま手に持っていたスマートフォンが、先に「凶器」の餌食となったらしく、その体をいたく歪め身代わりの役を演じた。それでもいくらかしか和らがなかった衝撃が、いまの俺の額にその後を残している。

 

こんなときだけは「生きた心地がしない」とも「死ぬかと思った」とも言いのけてやりたくなるのである。味わったであろう(記憶のほどは定かじゃない)極限状態というのは、うまいこと記憶から抹消されているから人生はわからない。

 

こんな風に自分が生きているかどうかを確認できるのは、それ相応のイベントが目の前を立ち去ったあとでこそ。

もちろん、猛烈な空腹感に襲われた途上国で、数十円のヌードルに涙を流しそうになったあの瞬間も、また違った切り口で自らの息吹を感じさせてくれるのだが、

 

そのスマートフォンの残骸と、事故車両と、あの喧騒との光景が俺に残した鮮明な感覚。

 

ああ、生きてるわ。