東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好きだったんですがもう仕事に毒されてしまったのです。

携帯電話のSIMフリー教がキャリア教にしかける聖戦

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先日友人からiPhone6を譲り受けた。彼の仕事柄、たくさんのiPhoneと触れ合っているそうで、今度も新しいiPhoneたちを迎え入れるために、もうだいぶ古くなったiPhone6を僕のもとへ養子に出した格好だ。僕の知る限り、彼は様々なエディションのiPhoneを数十台は触れてきたエキスパートだ。

彼の関心はとうの昔にiPhone7、8、Xと儚くうつろいを見せていた。僕が引き取ったiPhone6はまるで箱から出されたばかりの新古品に間違いないのだが、見慣れたiPhone(それもいまとなっては旧式)を受け取った僕としては、はじめて我が家にカブトムシがやってきたときの、あの何とも表現し難い「感謝と幻滅と困惑」が入り混じる感覚に陥るのであった。

 

ところで、今回僕が受け取ったのはiPhone6。唯一期待していたのは、僕のSIMカードが入るかどうかに集約されている。(断じてSIMOネタではない)

国外に行く際には利便性・コスト面を考えるにSIMフリー端末は必需品だ。なので自分の端末がSIMフリーであることは最優先であり、SIMフリーでなければ携行品に非ずと断じたいところなのだ。僕が普段使っているiPhoneも当然SIMフリーである。仕事(1割)や遊び(9割)で外国に行く身としては、SIMの出し入れが簡単にできないのは苦痛以外の何者でもない。というのも空港でのWi-Fiルーターのレンタルに時間とカネを割かねばならず、しかも現地で使える電話番号を保有できるわけでもないのだ。おまけにWi-Fiルーターはぼったくりと思えるような金額を平気で要求してくるのも気に入らない。

   

さて、僕の手元にやってきたiPhone君の具合はどうだろう。友人が言うには「SIMカードは抜いておいた」とのことだった。いやはや、事前に挿入の手はずを整えてくれているとは、なんとも気の遣える友人である。これからこのiPhone君には僕のSIMカードをたっぷりと受け止めてもらはないといけないのである。しっかりと電波と波動を感じてインターネットの大海原に敏感な反応を見せてもらわないと困るのである。自前のauのSIMカードを手に取ったときには、僕の期待は頂点に達した。みなぎる興奮に手は震え、SIMピンに僕の体温が伝わっていく。じんわりと高まりを見せる僕のiPhone君は身動き一つ見せることなくSIMカードに心部と脚部を開いていくようである。いよいよSIMカードの差し込みという名の神聖な「交配」が始まろうとしている。

 

ところがiPhoneは無反応であった。差し込みの甘さやらゴミでもついていたのかとあれこれ思案した挙句、とりあえずもう一度挿入を試みるのだがiPhoneは声も出さぬマグロのままであった。サイズ感は間違いないし、挿入後に指先に残る「プチ」というあの感覚はたしかであった。しかしながらiPhoneは無感である。

「あ、そのiPhone6はドコモのキャリア端末だからSIMロック解除も無理だからね」

友人はSIMフリー信者の僕に向かってキャリア端末のバイブルを読み上げた。異教徒の僕にとってキャリアの規約などは何のありがたみも感じられないお経そのものである。しかしながら日本にはびこる「キャリア教」とやらは根強く、総務省という名の教皇庁ですら、なかなか教義を変更しようとしない。日本に出回る端末のほぼすべては何かしらの形で「キャリア教」に洗礼を施されているのだ。SIMロック解除は異教への帰依として火あぶりにされるか、一定期間の贖宥を果たさなければならないのだ。

新興国では1000円で無制限のデータ通信を享受してきた僕としては今更キャリア教には戻れないのだけども、反省すべきはドコモ端末にauのSIMを挿入してしまった点であろう。この際磐石な格安SIMとやらも挿して差し上げたかったが、これ以上の洗礼や論争にはiPhone君にとっても異教徒である僕に取っても互いを幸福には導かないような気がしたのだ。異物への耐性がまるで見られない様子は筆舌になんちゃらで、体内の免疫系よりも宗教戦争に重きをおきたくなるのも道理であろう。

 

SIMフリー教の聖戦は始まったばかりだ。

   

参考になりました。ありがとうございます。