東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好きだったんですがもう仕事に毒されてしまったのです。

8年ぶりの友人がよこしたのは「外資系生保」への就職エントリーだった

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退職エントリーに事欠かないこの界隈でも就職エントリーはまれである。その現場の多くはSNS。退職の決意表明といままでの感謝をこれでもかと!まで展開されたと思えば、旧友やら未来の元同僚たちがこぞってLike!を寄せるのだ。SNSといってもFB限定のロードショーかもしれない。刹那的とはいえそれはそれは派手なタイムラインと化すのである。うらやましい。ぼくの狭小な観測範囲によればFBだけはいつだってこの夏の酷暑を知りやしない。どこからともなく吹き荒れる寒風が(タイムラインを)見る者の熱を奪っている。熱波の続く日本列島にもどうか容赦ない冷風がおすそわけされんことを。

 

対して就職エントリー。「次のステージは○○です。」との具合に退職エントリーに書き添える形で繰り広げられるパターンが一般的だが、就職エントリーを独立させた場合にはこれまた毛色が異なる。新たな境遇にバラ色のモチベーションを展開し、燃えたぎるパッションをして雇い主への忠誠と奉公が誓われる。「ビジョン」「おもい」「やりがい」の類を目の当たりにすると意識が…高揚する。就社先に対するある種の狂信と覚悟とやらが絶妙にブレンドされた筆致は決して読むに耐えないしろものではないが、ゲテモノ見たさ、言うなれば純粋無垢の好奇心が同居してしまう。その稀少なコンテンツ性を鑑みれば一読の価値があるのは理解できる。

 

そんな就職エントリーの類が僕の個人LINE上で展開された。「東京くん!いま何してんの?俺は(以下、略)」

 

僕は我が目を疑う前に、連絡をよこした人物が誰なのかを確認する必要があった。はて、こやつはたしか…あいつだ。高校時代の友人だ。僕ほどとは言わないまでも学校1と誇れるほどのコミュ障であり、女子生徒の好感度のヤバさ選手権においては共に上位にランクインし続けた愛すべき友人。学校でボンクラをかましていた僕に積極的に絡みにきていた彼が実に懐かしい。彼との交流を通じて、ご自身はクラスを白けさせる強力な才能の持ち主なんだと、僕はうっすら気づいていた。しかし彼持ち前のコミュ障が災いしてか、いやが応でもその爪を隠さざるを得なかったのだ。あわれな孤高の天才とやらはそのポテンシャルを発揮できないまま華の高校生活に幕をおろしたのである。

 

そんな彼が26歳になって僕に連絡をよこす。強烈なイタさ加減の持ち主からの通知は、一言「胸が踊る」だけではとても言い尽くせない。8年越しの長旅の末、故郷に帰り着いた友人を迎え入れる気分とはこのことか。そのたくましくなったであろう背中に担がれし土産。期待は膨らむ一方である。

 

iPhoneがそのメッセージに震える。僕もつられ震える。言うことを聞かないその指先で指紋認証を解除する。原石は日の目を見るのだろうか。8年待ちつづけたビックウエーブ。やはりそのLINEは宝石箱のようだった。「○○○○シャルって聞いたことある?」「保険を通じてお客様に安心を届けている」との三言目。高波が訪れた。「外資系生保」への転身とうわっつらのやりがいに酔いしれる様は僕が求めたそれだ。彼の才能を引き出したい僕は「前にもプルの人を紹介されたけど、いま君の役に立てるかどうかはわからない」とジャブを打ってみる。すると彼は「そうなんだね!いや、いいいんだよ、おれ、ゴリ押しはしない派だから。」と言って取り繕ってみるものの「なんなら今度プライベートで会ってもいいよ!」と数秒前まで見込み顧客だった僕に対しあまりにムキムキな商魂を披露してくれたのであった。

 

彼は続けた。いまの仕事こそ「共感」「夢」「お役立ち」に集約されるのだと。「この仕事に誇りを感じている」とおっしゃるがこれは前菜にすぎない。彼のトークの主軸に位置づけられた「こんな俺ですら構文」はまるでマルチリレーションシップマーケティングによってもたらさる狂気。でかした。あまりに神がかっておあつらえむきな就職エントリーには彼の真価が刻まれていた。これこそ僕がオシムに惜しんだ才能そのものなのだ。

 

彼から送られる一文一文は僕を何度もオーガズムに導いた。要するに彼のエントリーは僕をして一晩中ますをかきつづける猿へとアップデートをかけたのであった。8年越しの土産はシンカを見せつけた。

 

どうかこのピンボケした彼なりのゲイジュツ的エントリーが僕のタイムラインでもお目にかかれますように。そんな淡い僕の願いは翌日には達成されたのであるから人生はひどくつまらない。寄せられたLike!の数は…なんて野暮なことはやめておこう。8年待ち続けた人生の祝福が前夜祭もそこそこに終わりを迎えた。かたや就社をやめない僕はセミ。でも、なきこそしないがとびもしない。新たな一歩を踏み出せないセミが今日も地上の夢を見る 。