東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好きだったんですがもう仕事に毒されてしまったのです。

最高の外国語習得方法とは何か

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ローカルな住民たちの会話を聞いてると、その仕草と反応と声のトーンに法則性みたいなものが見出せたんだ。その条件が整うと決まって同じフレーズが彼らの会話から聞こえる。これらを、とにかく見よう見真似でアウトプットするんだ。

 

巷にあふれる英語学習教材の数々。英語の必要性やらを煽るような自己啓発本の数々。そして一部の企業による英語の社内公用語化。俺たちの周りには英語のプレッシャーと、英語ができることでのチャンスの幅とが混在している気がします。

 

 

そんななか、いままでどれだけの教材や啓発本が本当に有効な語学学習法というものを提示できたのでしょうか。どれだけの人々がその啓発を受けて英語や外国語を泉のように湧き立て吐き出すことができたでしょう。それらは必ずやスピードラーニングのみのなせるべき領域なのでしょうか。

さあ、最高の外国語学習の方法とは何かを考えてみましょう。 

南蛮人や紅毛人はどうやって日本語を習得したのか

ザビエルが日本に漂着したであろう戦国時代。彼ら「南蛮人」はカトリックのミッションを一身に背負って表向きは布教活動に、そして実質的には「侵略の尖兵」としてその役割を全うしていました。

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ここで疑問が湧いてきます。彼らはどうやって日本語を習得したのかということです。

ザビエルは現代で言うところのスペイン出身だと言われています。イエズス会所属の彼が操るであろう言語はおそらくカスティリャ語とラテン語、もしかしたら古代ギリシア語かもしれません。しかしこれらの言語は日本語との言語的距離があまりに大きいことは有名です。Google翻訳を使っても抽象度が高い/複雑な文章はうまく翻訳できないほどです。

日本語文献(漢語文献)の流入はイスラム文化圏や中国文化圏を経由する必要があったことでしょう。ヨーロッパ人との接触が公かつ頻度が高まったのは大航海時代以降です。「極東」なんて表現されても致し方ないほどの物理的な隔たりがありました。互いに交易品などで間接的に接触する程度であったと想像するのは容易です。

こんな「疎遠」な状況で日本語とヨーロッパ言語の相互辞書なんてあったのでしょうか。いや、おそらく無いと考えるべきでしょう。そんな彼らがどうやって日本にやってきて、それも異教徒たちのような野蛮な人々にカトリックの精神を伝えるのか、相当に苦心したことでしょう。互いの風貌ギャップに不審な目を向けられ、訳の分からぬ言葉に命の危機を悟らせる状況であったことでしょう。

日本語を覚えなければ自身の存亡とミッション未達などの相当なプレッシャーがあったことは想像に難くありません。

   

ラオスで出会った日本人の外国語習得法が原始的

 東南アジアのラオスで現地在住8年の日本人と話をしました。彼は現在、ラオスで飲食店を営むだけでなく、観光ツアーのコンサルティング業務を展開しています。そしていまでは政府の観光プロジェクトのメンバーとして召集されるなど大変な活躍をしています。

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彼はラオ語(ラオスの言語でタイ語に近い)をある程度自由に使いこなしており、ローカルの人たちとのコミュニケーションにも苦労している様子はありませんでした。どうやってラオ語を習得したのか素朴な疑問をぶつけてみました。

 

「回答の前にごめんね、正直言って文字は全く読めないんだよね

 

ラオ語はタイ語と似たような言語、文字体系を有しています。イメージは以下参考。

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英語学習といえば参考書や教材を用いて、アルファベットすなわち文字を通じて勉強する方法が一般的でしょう。しかしこのような身近ではない言語を文字を通じて勉強するには少々困難が付きまとう恐れがあります。文字を覚える→書き言葉を覚える→話し言葉を覚えるというのは着実そうですが、話せるようになるには相当な遠回りであるからです。

 

では彼はどのようにして文字も理解できない外国語を習得したのでしょうか。

 

「とにかくあらゆる会話に耳をすませたんだ。飲食店、路上、場所やシチュエーションは問わずにね。それでね、ローカルな住民たちの会話を聞いてると、その仕草と反応と声のトーンに法則性みたいなものが見出せたんだ。その条件が整うと決まって同じフレーズが彼らの会話から聞こえる。これらを、とにかく見よう見真似でアウトプットしたんだ。

 

「そして検証するんだ。彼らの会話で見たような反応が、僕が放った言葉でその反応を再現できるかどうか。再現できたときはすごく嬉しかった。」

 

つまり彼は、ローカルな人々の会話を注意深く観察して、そのやりとりを自らの言葉にとして取り込んだのでしょう。外見的には乳幼児が言語能力を獲得していくそのプロセスに似ているようないなや。

 

そして自分の中で、発した言葉だけでなく、会話を取り巻く状況や文脈、人々の仕草が統合され、まるで自分の発した「言葉」に命が吹き込まれていくかのようです。

 

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「気がついたら相手の言葉に対してどうやって返すのかを学んでいたようだ。いまでは型通りの返答以外にも選択肢を持つことも、あるいは自分から意見して相手の考えを探ることもできるようになった」

 

極論、彼は8年という歳月をかけたかもしれませんが、現地の環境に身を浸して、それ相当の時間をかけて語学を習得したのかもしれません。

 

ちなみに『英語は逆から学べ!』という著作で有名な苫米地英人氏は、自著において乳幼児が言語能力を獲得するように、語学学習を進めるべきであると提唱しています。それは文字や文法を学ぶのは後回しにして、まずは音から学ぶべきであるとの主張であり、この日本人男性の語学習得プロセスにかなり近いと言えます。

   

語学学習の成果を決めるのは

まずは上記2つの事例を比較してみましょう。

ザビエルに関して、一般的に日本にやってきたイエズス会宣教師は辞書も何も存在しない中、布教活動に当たったことは推察されます。彼らはヨーロッパでは知識階級でもありますから、地頭の良さのためにカトリックの布教活動に必要な日本語能力を身につけられたのでしょう。しかし、本当のところは日本語を覚えるための激烈な動機があったと考えるべきでしょう。それは異国異教徒の地に足を踏み入れた我が身の安否と、カトリック布教のミッションです。こうしたものすごく「過酷で緊張感のある」背景が語学の学習効率を劇的に向上させるのではないでしょうか。

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そしてラオスの日本人男性。大航海時代の宣教師ほどではないにしろ、彼にもそれなりの「緊張感」や問題意識があったかと思われます。異国の地で異国の人々向けに商売を展開するのですから、やはり現地の言語を習得すべきという強い動機があったはずです。

 

こうして考えてみると、現代はスマートフォンのアプリケーションや参考書といったもので手軽に簡単に語学学習に取り組むことができます。しかし、お気付きの通りいつまで経っても書店やオンライン広告には「英語」という恐ろしくも憧れを覚える存在が消えることはありません。我々の生きる現代はかつての大航海時代よりもよっぽど語学学習が容易になったというのに。

 

個人によって問題意識も、そもそもの語学力の必要性も変わってくることでしょう。しかし、己の身の危険やら人生観までも変えてしまう衝撃に比肩しうる「きっかけ」があるからこそ、何かを成し遂げるための原動力たりうるのかもしれません。

 

ちなみに、高校世界史でおなじみ、トロイア遺跡を発見したシュリーマンという天才はその生涯に15ヶ国語をマスターしたと打ち明けています。彼がどのように幾多の言語を習得したか。それは文章の音読、多読、作文にあるとのこと。そして読んだ文章はほぼすべて暗記してしまう勢いでのめり込み舐め回すとのことです。

 

極論、語学学習の方法において正解はないのかもしれません。しかし、一番大事なのは語学を習得しなければならないという強制力か、それに準じる情熱や問題意識であるのかもしれません。