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【書評】パリ最強の売春婦の重すぎた役割

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(画像:http://ureshino.cup.com/ladygunner/winslow/nana.html

 

職業に貴賎なしとはよく言ったものである。

人類最古の職業とも称される売春婦。売春婦は時に困窮の象徴ともされ、その一方で一部の「恵まれた者」にとっては所属階級を駆け足で上り詰める唯一にして最強の手段であった。

主人公である「ナナ」の名前が本作品のタイトルともなっている。

    

売春婦として成り上がるナナ

ナナは困窮を極めた家庭に生を受けた。年頃に差し掛かりいよいよ女としての肉体的魅力が備わってきてからというもの、彼女はパリにおける高級娼婦として、その名を知らぬものはいないほどにまで成り上がった。それは使用人まで雇うほどであった。

 

いち売春婦に過ぎないナナではあったが、パリ社交界の有名どころの紳士始め、次々と男たちを我が物としてきた。どこからともなく放たれる名伏し難いナナの魅力に、紳士も実業家も、はては少年までもがその強い引力に抗うことが叶わなかったのである。そうして貢ぎに貢がれたナナの生活は派手さを帯び始めたかと思えば、もはや「貴族的な生活」すら獲得したかのように豪奢に変貌していった。

 

売春婦ナナの近代パリにおける役割

しかし、売春婦の彼女が「身の丈に合わない」豪勢な生活を送るというその描写はかなり皮肉を含んだ表現でもある。もっとも、彼女の「歪な成り上がり」が、パリの紳士淑女の社交界への風刺にも感じられる。なぜなら19世紀パリの急拡大しつつあった階級格差において、一部の富裕な者と富めるべくもない労働者階級との埋めがたい隔たりが、いとも簡単に売春婦によって繋がれているのである。交わることを知らないそれぞれの階級はナナという、まるで空間が歪んだことによって生じた隙間により、摩擦を生みながらも接点を見出していくのだ。

  

ナナは富裕層と労働者階級のつなぎ目のような役割を果たしており、紳士たちを艶絶な磁力で引き付けているように思える。否、ナナが磁力で男どもを吸い寄せているのではない。ナナこそがそこに吸い寄せられているのである。腐敗しきった「何」かに、ナナというハエが死臭を嗅ぎつけて、骨の髄までしゃぶり尽くしてしまうのだ。そう、腐敗し切った人間社会そのもの死臭である。ナナがそうした見るに堪えない社会の一側面を、賎しめられがちな売春婦という立場から、皮肉めいた実像を浮き彫りにさせていく大役を担っているのだ。

 

売春婦と物語の終わりに 

ナナの最期は凄惨であった。

物語終盤、ナナの美しいその姿は天然痘によって跡形もなく冒されていた。艶かしいその顔も肌も、天然痘の猛威が己から本物の死臭すら漂わせている様である。ナナがしゃぶり尽くした19世紀パリという「屍」は、ついにナナ自身の生気を失わせ、蓄積させてきた「歪さ」に重すぎる代償を払わせられたのである。

物語から漂う、窓ひとつすら開けることの許されない息苦しさと湿度の高さが、どうしようもない無力感を増長させていく。劇的な最後が人間集団の所業と背負わせられた宿命の抗い難きを如実に表現している気がしてならない。

 

21世紀の現代まで決して色褪せることのないエミール=ゾラの作品『ナナ』であった。