東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好きだったんですがもう仕事に毒されてしまったのです。

ほら、あなたには仕事の足音が聞こえただろうか

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カレンダーを開いたのは久方ぶりで、ふと気がつけば2017年もいよいよ折り返しどころか三つ折りうちの残り1つとなってしまっていた。

これまで僕が溜め込んできたのは、社会の荒波に追いやられ波打ち際を行ったり来たりするような脆弱にして意志の感じられない浮遊物のなにがし。いやはや、目がさめると浦島太郎よろしく僕を取り巻く環境のかくも大きな変化に呆然とさせられるのである。

今宵なぜブログエディタに目を奪われ我を忘れタイプ音を奏でているのかと問われれば、間髪入れずに次のような返答パターンを披露したいがためなのだ。

 

 

おつぼねがー

 

だが筆に任せて我に任せずんば社内の孤児ならざずんばとは、なんとも無教養に裏打ちされた故事成語のなりの果てではなかろうか。意味がうまくとれないのは僕自身も同感なのだが、あまりのストレスに言語中枢のいずこかに白い影が忍び足をかましているのを僕は健康診断中に直視したつもりだ。

 

さて僕の尊敬するフミコ・フミオ先生は見事社会復帰を果たし、順風満帆な社会人生活に筆と胸とイチモツを踊らせているにもかかわらず、僕はいったい何をしているのだろうか。師の憎悪と侮蔑に溢れた筆致は純度の極めて高いエタノールのようであるが、まるで可燃性に乏しい様子がいかにも超人的な魅力を放ち、闇深きの奥底にいざなわれるかのような錯覚に陥れる。僕は彼の文章との出会いを決して忘れることはない。師の文章に目を腫らすことはなかったが胸を晴らし呪いの言葉を心の友に見立てた幾度もの夜。それでもいまだ僕自身の精神的な立ち上がりには至っていないあたりに、師を凌駕するポイントは物理的に立ち上がれるか否かの一点に集約されてると小声ながら強調したい。

 

とりあえずの言葉あそびが言葉使いに気をつけたい今日この頃。

徒然なるままの文章は罪深い。己を社会の小路に追いやるだけなのだろう。

 

とりあえず今後は僕の小さな肢体をいかに解毒していくのかが喫緊の課題には感じていて、社会の厳しさに直面し逃げ回った回顧録がいま邪光にさらされる。

 

ほら、仕事の足音がした。