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東京フルスロットル

英語と地理と歴史を駆使したコンテンツが好き。それとウェブサービスとゲスな話をゆとり新卒なりに書きます。

24歳の若さにして髪の毛を失いそうで怖い

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目が覚めたのは目が覚めてから。枕におよぐ数十本の髪の毛が僕を起こす。

 

いつからだろうか。こんな風に髪がなくなっていったのは。自覚がなかったとは言わない。見て見ぬ振りにも限界はあった。それでもこの日の数十本の脱毛には驚きを隠せない。

 

どうしたものか。僕は24歳。一般的な男性と比較しても、この歳で髪の毛に悩みを覚えるなんて早すぎる。早すぎる。世間一般との比較が意味をなさないとは分かっていただけに、この例外的な脱毛が余計に僕を震えさせた。

 

 

僕の脳天ははげかかっている。広がった額を隠すために残りわずかとなった前髪をかぶせてみる。隙間だらけの額がみせる様は、まるでゲレンデから眺める野山のよう。すっかりと葉を落としてしまった木々が、純白の雪に覆われて一心に寒さをしのいでいる。彼らが待つのは春。僕が待つのは何もない。

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そうは言っても現実と向き合わなければならない。すっきりしてしまった脳天部と寒風に打たれる額。これをどうするか。

ひとつの方法はこのまま放っておくことだろうか。温存とは言えないほど木枯らしが激しく吹き荒れていたのだろう。「日に日に」どころではないほどの脱毛だ。放置というより、温存というより、もはや「風化」だろうか。

 

もうひとつの方法は現存する髪の毛をすべて剃り落としてしまうことだろうか。

かつて高校生のころ、バリカンをブルドーザーに見立てて、自身の頭部に根をおろすすべてを、まさに根こそぎごっそり掃除したことがある。少々大げさな表現だと感じるのは、最終的にその「神々」は復活を遂げたからだ。わずか半年ですべての「神々」が息を吹き返したのである。

 

僕は鏡越しに自分の頭に目を向ける。

 

思えば日本人に比べると、スキンヘッドをした外国人は多い気がする。なんら有効な調査結果に目を通したわけではないが、日本にいるなり外国にいるなりしても、やはりスキンヘッドをしている人に目がついた。

ならばスキンヘッドにするのもありなのか?

   

それにしても日本では「ハゲ」に対する見方が冷たくないだろうか。髪がないのがどうしてそこまで自虐ネタを洗練させざるをえないのか。お笑い芸人でも自らのハゲかかった頭をネタにするものもいる。しかし、僕の周りにいる日本人は、みなどうにかして髪の毛をすべらせている。

『サザエさん』の波平おじさん。国民的アニメたる『サザエさん』が日本のハゲに対するイメージに大きな責任があるのではと考えたくもなる。毎週毎週にわたる長寿番組は、我々日本人にどんなイメージを身につけ得るのか、考えるだけでそらおそろしい。髪の毛が一本しかない、まるで沖ノ鳥島のような光景を、どれほど多くの無垢な小学生がネタとして披露してきたのであろうか。

 

僕は明日、美容院ではなく、床屋に行こうと思う。数十本の脱毛。こうなってしまった以上は僕に残された美容の余地などありやしない。潔さが吉と出るのにかけようではないか。

もう外すら歩きたくない。1月も中旬に差し掛かった。寒さだけではない。こない春を待つのが辛いのだ。戻らぬ若葉が惜しいのだ。

 

整えるべきは髪の毛、整いつつあるのが心。整わずにいるのが世間体。僕は堕ちていく。エベレストから日本海溝へ。もう堕ちるだけ堕ちたというのに。

 

 

 

 

目が覚めたのは目が覚めてから。枕におよぐ数本の髪の毛が僕を本当に起こした。

 

リアルな夢と数本の「神々」が己なの何かに警告を発しているのだろう。生活習慣?男女関係?仕事か?将来か?答えのない問いが僕を鏡から遠ざける。

※夢とフィクション / フィクションと夢に基づいた実話です。